第56 回歴史講座 日時:2019年3月3 日(日)13:30~15:30
題目: 徳川昭武邸・水戸弘道館。偕楽園・水戸城跡 「徳川昭武とは」「水戸黄門と水戸斉昭」 場所:北区区役所多目的室 講師:平川敏彦
参加者:27 名
徳川昭武
徳川慶喜の弟 フランスのナポレオン3世の招待で万国博覧会へ出かける。一緒に出掛けるのは
渋沢栄一。昭武はフランス語に興味を示し渋沢は経済全般や産業を視察する。
帰国後水戸家を継承する。最後の水戸藩主となった。戸定邸は昭武が隠居した知己に住んだ邸宅である。
水戸2代藩主 水戸光圀(黄門)
3男として生まれる。父頼重は堕胎を命じるが英勝院と相談し父母の家で出産する。
後に長男は讃岐高松家の藩主となり光圀は水戸家を継ぐ。
光圀は3男でありながら宗家を継いだ後ろめたさがあったのか嫡男と高松家の嫡男の家督継承をトレードする。つまり自分の子を高松家へ養子に出し高松家の嫡男に水戸家を継がせる。
光圀の大事業は「大日本史」の編纂である。多くの儒学者を地方へ派遣し調査をさせた。
水戸黄門の黄門は中納言の官職名で漫遊記は幕末に流行した講談で作られたもの。
徳川斉昭
有栖川幟仁(たかひと)親王の娘を正室に迎えた。娘を玄孫の熾仁(たるひと)親王に嫁がせる。
男子は養子などですべて大名家の藩主にして女子は大名の正室にした。
幕末に黒船がやってきてからは幕政参加。強硬な攘夷派であった。開国の井伊直弼と対立した。
勅許なしで条約締結したことを公示するため登城日でない日に登城した罪を追求されまた将軍継承問題で敗れ戊午の勅許でも追及され永蟄居を命じられ幕政から退く。
子造りでは側室9人に37人の子供をもうけた。