月日:2019 年3 月17 日(日)                     

場所:徳川昭武邸 水戸弘道館・偕楽園・水戸城                  

参加者:23 名 8,000円~9,000円予定       

徳川昭武邸、弘道館、偕楽園でボランテアガイド。市民観光ボランティア『歴史アドバイザー水戸』松戸歴史館047-362-2050 ボランテアガイドと駐車場の予約。

 

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2019年3月3日ミニ歴史講座 徳川昭武 徳川光圀 徳川斉昭.pdf
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徳川昭武

徳川慶喜の弟 フランスのナポレオン3世の招待で万国博覧会へ出かける。一緒に出掛けるのは

渋沢栄一。昭武はフランス語に興味を示し渋沢は経済全般や産業を視察する。

 

徳川昭武邸(戸定邸)

昭武は時々松戸へ鷹狩りに来ていて松戸を休息の場としていた。

昭武は水戸家最後の藩主だったが家督を譲り

この地に邸宅を建て隠居生活を送った。

パリ万博やフランス留学で得たヨーロッパの知識を生かし見事な庭園を構想した。

この芝生では写真撮影のために三脚を建ててはいけない決まりになっている。

文化財指定の庭園です。

徳川斉昭

黒船来航で困った筆頭老中の阿部正弘が一番頼りにした御三家の藩主。

井伊直弼と攘夷・開国で争い敗退してしまうが水戸に偕楽園(ともに楽しむ園)と

弘道館(学びの場)を作り教育と民の為の政治に心がける。

偕楽園(ともに楽しく過ごす園)梅まつり期間中

          (好文亭)

代表で記念撮影

水戸黄門一門

ミス梅まつり

  

梅林

常磐神社

明治の初年、義公(第2代藩主徳川光圀公)・烈公(第9代藩主徳川斉昭公)の徳を
したう多くの人達によって偕楽園内に祠堂(しどう)が創立されました。

 

弘道館

 

弘道館入口                弘道館には葵の御門

 

上野寛永寺で謹慎していた慶喜が水戸に送られここで謹慎をしていた。

徳川光圀

水戸2代目藩主

水戸黄門のモデルとなった名君

大日本史編纂を開始。多くの儒学者を全国に派遣し藩内でも学んだ。

 

 

水戸光圀の時代から始まった大日本史

この調査で各地に赴いた儒学者が

「格さん・助さん」のモデルとなった。

ここにも立派な梅があった。

水戸城

城内はすべて学校が建てられており城郭としては楽しめなかった。

高さ15mくらいの城門があったが修復中で姿がわからなかった。百名城のスタンプはいただいた。