第54回歴史講座 日時:2019年1月27日(日)13:30~15:30(予定)
題目: 小栗上野介忠順 「罪なくして斬られ150年」横須賀製鉄所(造船所)建造」「幕末の円ドル戦争」 「徳川幕府最後まで徹底抗戦を主張」 場所:北区区役所多目的室 講師:平川敏彦
参加者: 30 名
新年おめでとうございます。というには27日と日が過ぎてしまいましたが本年は天皇が、年号が変わる年です。
10年経過してあの年はこんなことがあった。と覚えやすい年ですのでよき思い出を残してください。
それでは「小栗上野介」の講座をはじめます。
小栗上野介とはどんなことをやった人なの?という人が多い。
「取り調べもなく罪なくして斬られて・・・・」明治政府にとっては会津以上に取り上げてもらいたくない人物だったに違いない。それゆえ知られていない。
卓話は小栗上野介の偉業から説明していく。
小栗家家系図
小栗家は徳川家と縁戚だ。
小栗家は桓武平氏の常陸小栗家が古河公方足利成氏に滅ぼされ分家の三河小栗家を頼る(常陸小栗家滅亡)
三河小栗家の娘が家康の先祖の分家の松平へ嫁いで子供連れで実家へ戻り(小栗家が引き取り)その子が小栗家を継ぐ。
小栗正重が小栗家存亡の大きな役目を果たす。
小栗豊後守忠順後に上野介忠順を名乗る
日米円ドル戦争
渡米
日米通商修好条約の批准書交換のため渡米する。
この際アメリカの国務長官と為替レートについて「不公平」である旨を堂々と主張した。
国務長官は認めなかったが小栗忠順の論理的な発言は高く評価された。
小栗上野介が幕末の近代化に開眼したのは日米通商修好条約の批准書交換のため渡米。
咸臨丸は日本ーサンフランシスコの往復だが小栗などの使節一行の世界一周は米鑑3船(ポーハタン号、ロアノウク号、ナイアガラ号)を乗り継いだ旅であった。
横須賀製鉄所(造船所)建造
横須賀 ブエルニー公園
小栗上野介とフランソア・レオンス・ベエル二―
1865年勘定奉行小栗上野介の進言により、フランスの技師レオンズ・ベル二ーを招き、横須賀製鉄所として開設される。その後造船所とするため施設拡張に着手したが幕府が瓦解。
明治新政府は1868年9月に貸付を受け、横須賀製鉄所を接収。これを1871年に完成させた。
最新の技術で船や機械の製造、人材育成を行い、明治初期から日本の工業化をリードし続けた。
司馬遼太郎が「明治の父」と言ったのは小栗上野介が明治へ「大きな遺産」を残した。という意味と解釈している。
小栗上野の介の映画
「またも辞めたか亭主殿」Uチューブ
https://www.youtube.com/watch?v=-3tu_Xe7jwM
権田村にて
小栗上野介が「砲台」を築いていると疑われ官軍が迫ってくる。身の危険を感じ母と妻道子を会津へ逃がした。
小栗上野介忠順の墓は
群馬 高崎市東善寺に胴と首をつないだ遺体が埋葬されている墓がある。
さいたま市普門院には首塚があるとそれぞれのホームページに記載されている。
さいたま市公民館での講座では「普門院」だけ語られて「東善寺」「雑司ヶ谷霊園」のことは語られていない。本ホームページ管理者は歴史研究家ではないので両方の主張を取り上げている。
そのうち双方を話す講師が現れると思っている。
参考資料:「小栗忠順のすべて」(村上泰賢著)新人物往来社
「小栗上野介」(村上泰賢著)
「覚悟の人」(佐藤雅美著)
「大君の通貨」(佐藤雅美著)
「罪なくして斬られる」(大島昌宏著)
「小栗上野介をめぐる秘話」(河野正男著)群馬出版センター
「小栗上野介正伝―海軍の先駆者 (1941年)」(阿部道山著)(図書館内閲覧)
「さきたまの丘から」(森山逵夫著)
「まぼろしの城」(秋山喜久夫著)丸岡書店 昭和49年
「こんなに解りやすい!幕末」(永富明朗著)東洋図書出版 平成30年